他人への思いやりが結局のところ・・・

祇園祭、1か月続くお祭りですが宵山や山鉾巡行など世間的に名の知れた行事は今年はコロナウイルスの関係で中止になってしまいました。

前祭の宵々山に当たる日、普段なら函谷鉾が立派な姿を見せる場所はご覧の通り・・・

厄除け粽などの販売だけが辛うじてお祭りの面影を残す感じで、何とも寂しい気分。

デパートに展示された鉾のミニチュアを見るだけが今年は満足しておかないとね・・・

お店は軒先をこうして正装して、キリリとした姿を見ることができたのは季節を確認できて嬉しかったですね!


今年は後世に残る一年になるのでしょうが、その時に、こういう年もあったよねと思えるために記録しておきます!
旅行は十分に気を付けて各人が実施すればいいと思いますが、これだけ陽性反応を示す人が増えている中で、国を挙げてGO TOキャンペーンを実施するって翔希の沙汰じゃないと思います。いろんな自治体から異論が出る中、京都は賛成に回るって空気の読めなさは相変わらず超一流です(^-^;
このコロナ禍で、国のお偉いさんが考えることが我々市民の感覚とかけ離れ浮世離れしていることがいろいろと見えてきましたよね~
誰を見て仕事をしてるのか?って話ですが、今までならごり押しで進められたところが、次々と計画が変更されたりとん挫するということは、こんな世の中でも少しづつ変わってきている兆候なのか?それともあまりにもどうしようもない愚策に声が上がったということなのでしょうか?
国がそうであるなら、そのミニチュア版にしか思えない京都市ももう少し変化してほしいものです・・・
クラスターの発生源は頑なに秘匿していますが、コロナで窮状に陥っている中小企業の相談データは1か月以上ダダ洩れにするお粗末さ・・・もはや3流以下で、テレビ番組で言うところの映す価値無しというレベルです。こういう時、普通はトップが出てきて謝罪するものですが、これもまたお約束で出てこないんですよね・・・
まあ、国のトップも責任を痛感しまくってますが、全然責任を取らないのと同じですが・・・
一方我々市民はというと、これだけ劇的に陽性反応を示す人間が増えているにもかかわらず、4月や5月のころの警戒感は何処へ?というような状況です。人間って忘れることができるからいろいろ大変なことを乗り越えられるのだと思いますが、まだ乗り越えてないところで忘れてもらうと困るんですよね・・・
そりゃ暑いからマスクをしてるとシンドイです。密じゃないところではマスクを外せばいいと思いますが、電車やバスなどの交通機関や繁華街の三つだと思われる場所でマスクをせずに平気でいられる神経がちょっと理解できません。
感染を防止する目的ではなく、万が一感染していた場合に飛散を防止する目的でと散々言われているのに、私は大丈夫!と根拠なく自信を持っていると思しき人間のなんと多いことか・・・
図らずして人の本性ってこういうところで暴かれてしまうものですよね・・・

Kazu について

飛行機のこと、音楽のこと、京都のこと・・・ 毎日の生活を備忘録代わりに綴っています! たまに毒を吐くこともあります・・・
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