災禍と福音

この週末は必要に迫られて買い物に出る以外はずっと家に閉じこもっておりました。
コロナ疲れとかいう言葉が出てきていますが、芸能人や有名人の感染のニュースが続いて、つらそうな画像を見ると、ああはなりたくないと思うから、家に籠ってたまるストレスの方がまだましだと思わざるを得ません。
いうことが二転三転して迷走している政府に、我々国民は振り回されていることも、コロナが第一義的にさいなんではなるけれど、副次的な災難、人災だとさえ思います。
京都市の首長は、決してイニシアチブをとることはせず、誰かが動くとそのあとに続いて、自分のことは棚に上げて政府に批判を加えるという体たらくで、4期もこんな人が長として君臨していたことが不思議でならないくらい実力不足を露呈しています。かといって隣接自治体の長のように饒舌であるのも、ポピュリズムを感じて怖いものがあります。
鳥インフルエンザや豚コレラが流行すると、家畜はその地域にいるということだけで殺処分されるという光景を報道で目にしますが、人間を支配する生物が仮に存在するとすれば、このコロナ禍では人間も同じ運命を辿っているのだろうと思うと悪寒が走りました。
欧米諸国のようにロックダウンは法律上不可能だから、各人の良識に頼るほかない訳ですが、本来一番自重して国民の範として行動すべき人が、自由という言葉をはき違えた無責任な個人が権利をかさに奔放な振舞いをしていると、収束はまだ当分先の話なんだろうなと思わざるを得ません。
コロナ禍の完全な収束なんてまだ誰も見通せない状況にあるけれど、この未曾有の災難が普段隠れていて見えなかったものがいろいろ炙り出されたことは福音だと思います。
政治家は政治屋であって、官僚は国民より国の懐事情の方が大事だということ。
なんだかんだと税金を納めても、こういう有事の際は国は国民を助けないということがはっきりしました。
マスクは他人にうつさないための配慮なのに自分がうつらないためにと思っていつまでもしない人間が身近にいたり、マスクを買うために密接した状況に身を置いても何にも思ってない人、ソーシャルディスタンスを意識して、レジ待ちで前の人と間をあけているのに、振り返るとすぐ後ろで並んでいる人・・・
いろんなものが否応なく炙り出されてきました。良くも悪くも、コロナ禍が収まれば、
この世の中の景色がずいぶん変わりそうに思います。
便利な世の中は、危険で非常に脆い世の中であるということを痛感しています。

Kazu について

飛行機のこと、音楽のこと、京都のこと・・・ 毎日の生活を備忘録代わりに綴っています! たまに毒を吐くこともあります・・・
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