先日、とある銀行のATMコーナーに設置してある封筒を見ると・・・
封筒を廃止するということが書かれていました。今流行のSDGsを理由にして・・・
コンビニやスーパーなのでのレジ袋も地球環境保護の目的で有料化されたのも同じくSDGsということですよね・・・有料化の対象ではない紙袋まで便乗して有料化しているところも沢山ありましたよね~!最近はその反動なのか商品用途に応じ再び無料化されているところもチラホラ見かけます(~_~)先日ワインを買い求めたら、以前はレジ袋が有料だったお店だったのに、何も言わずにレジ袋に入れてくれました!
SDGsって名前ばかりがいろんなところで目につきました、具体的にどういうことなの?
って調べてみると・・・こんなことが書いてありました。
(上記画像は外務省HPより引用)
先程の銀行の封筒廃止は、12番と15番に該当するらしいです。
レジ袋の廃止はごみを捨てる使う側の責任が問われているから12番と海洋汚染防止の14番に該当するのでしょうか?
理念は大切だと思います。
限りある資源を有効活用することも大事かと思います。
そのために多少なりとも不便な生活を甘受すべきことも理解はしているつもりです。
でも、正直なところ甘受出来る不便さを越えた我慢を強いられているように思えてなりませんし、SDGsを錦の御旗のごとく振りかざし理念より経費節減に走っている企業の思惑も透けて見えてきます。
17色で構成される輪。社章と併せスーツの襟に着用されているのも結構見かけます。
ふと見て、この17の目標に肝心な目標が抜けてるんじゃないかということに気付きました。(僕の見方が悪いのかもしれませんが・・・)
全ての人を幸福に!
という目標はないのですよね・・・
上記のそれぞれの目標がかなえられたら結果として幸福にということなのかもしれませんし、国により、人により、性別によりといろいろな立ち位置からして幸福の尺度は違うでしょうが、それでもそれぞれの立ち位置で今よりは少しでも幸福であればそれはそれでもくひょうとして掲げてもいいんじゃないかと思います。
昨年、新しい政権が誕生したときに、そのスローガンを見てずっこけたことを思い出しました。「国民のために働く。」当たり前のことを何言ってるんだろうとその時は思いましたが、オリンピックの開催強行や、コロナ禍における後手後手の場当たり的な対応(先手先手ってどの口が言う?)、あまつさえ酒販業に対する公的な恫喝の実行等々を見ていると、「国民のために働く。」ということは政権与党にとってはとても高いハードルを課しているんだなあと実感するに至りました。「国民」ではなく「国」のために働いてますよね!
京都は観光客のために働き、コロナ禍で観光需要が蒸発するや否や財政危機が表面化!
ただでさえ手薄くて定評のある市民サービスの低下がいろんな場面で目にするようになってきました・・・国もひどいけれど、京都市はそれに輪をかけてひどい・・・
最近、最低賃金の引き上げというニュースがありました。最低賃金が引き上げになることは働く者からすると嬉しいけれど、目に見えない公的負担の増加で可処分所得は下がる一方です。厳しい経営環境の中で経営者の負担を増やすことで、逆に人件費削減として就業者数が低下するリスクをはらんでいるように思えます。
先日、昨年の税収が過去最高になったというニュースを見かけました。色んな要因が重なってるんだろうと思いますが、多くの人がコロナ禍で困っている中でそういう結果が出るということに違和感しかありません。
仕事をしていると、補助金やら助成金の類がこれでもか!というほど溢れている状況に大きな疑問を抱きます。
お上が下々から巻き上げた税金を使って、施ししてやっているというような図式がどうしても浮かんできてしまいます。
時代劇は廃れてしまったけれど、厳しい年貢の取り立てで庶民は生かさず殺さずという状況におかれているような場面がありますが、現在の状況って、ひょっとしてそれよりひどい状況なんじゃないかと思ってしまいます。
こんな世の中変わらないと諦めるてしまうとそこで終わってしまいます。
選挙で意思表示をしてまっとうな政治家を選出して育てることがこんな世の中を変えていく第一歩になるんだと思います。